2015年11月26日木曜日

鎌倉時代に思う理想の生き方




急激な寒さの到来に、暖を求めて右往左往している物書き屋でございます。
こんばんは。

さて。

わたくし物書き屋、何を隠そう「鎌倉時代」が大好きでして、私の日本史はココでストップしております。戦国時代や坂本龍馬、ニッポン開国あたりも好きと言えば好きですが、それより何より

義経!
弁慶!
源氏と平氏!
おまけに奥州藤原氏!

この辺りの歴史もうヨダレもの。

身を重くし心を長くして、あだ疎かに振舞はず、小敵なりとも侮る心なくて、物騒がれしからず計らひ、たばかりをするが、能き事にてあるぞ

(どっしりと構え、気を長く持ち、軽々しく行動せず、小さな敵も侮らず、冷静にじっくりと戦略を練るのが良い)

言ったのは、慎重派の源頼朝さん。享年53歳


道なくば岩をよじ、山をつらぬいてゆくまでよ

やんちゃっぷりが見て取れる言葉を残した九郎義経。享年31歳


そして、最後の最後まで戦いつくし、自ら死を選んでいった平知盛(享年34歳)が残した言葉がコチラ↓

見るべき程の事を見つ。今は何をか期すべき

(見るべきほどのことは全て見た。今は何も心残りなことはない)



あまり知られていないかもしれませんが、知盛が言ったとされるこの言葉。
ずっと護っていた者たちの最期を目で見た後に、彼が言ったとされている言葉です。

この辺りを語り始めるとキリがないので、パパッと端的にまいります。


あの頃の平均寿命は50年前後でしょうし、現代とは大きく異なる暮らしっぷりを生きた彼が、たった30年ちょっとという命の長さを、短いと感じたか、それとも長いと感じたのかは分かりません。

戦に負け、大切な人たちを守れなかったという後悔が言わせた言葉なのかもしれませんが、それでも、自分の最期の最期の瞬間に、「精一杯生きたぞ!もう心残りは何もない!」と本当に言ったのなら、とても立派なことだと思います。

もし、自分がその立場だとしたら、こんなことを言えるかどうか分かりませんからね。

そして私も、自分の最期の瞬間そう言えるように、世界中の世界遺産と生ジョニデと9桁以上になった自分の預金通帳を見なければ!なんて、ついつい思ってしまう邪道すぎる物書き屋。


命の価値は人それぞれ。
短いも長いも関係ない。

花開いたまま短く生きるも良し、蕾のままで長く生きるもまた良し。
蕾を開きパッと大輪の花を咲かせるも、それまた良し!

そして、
願わくば、笑顔溢れる人生を。

イロハ



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