2015年11月7日土曜日

自分の不幸の全てを疑う幸せ論~イロハ流~



ロトセブンの今回の当たり番号と、自分の手にある番号を見比べて
「これはきっと目の錯覚だ……。角度を変えて見てみたら、きっと当たりに見えるんだ!!」
と、何度も何度も見返していた物書き屋でございます。

こんにちは。

さて。
話のついでに、目の錯視を利用した画像をひとつ。


斜線で描かれている6本の青い曲がった棒。



その棒に黒いラインを入れたって、それでも曲がって見えますが



画像を削除し、黒いラインのみで表示するとアラ不思議。
真っ直ぐです。

上記の画像以外にも、様々なタイプの錯視を利用したものが多く存在していますが、それら目の錯覚が起こる原因は、未だ仮説の域を超えてはいません。

人は五感を通して現実を認識する生き物です。

視覚、聴覚、味覚、触覚、嗅覚。

現在ではもっと多くの感覚があると分かっていますが、「ざっくり」と言い表すのならば五感といえるでしょう。

その一つである「視覚」は、上記の絵でも分かる通りに、いとも簡単に騙されます。

「触覚」に分類される「温度覚」も、南米の方と北欧の方とでは違うものです。
日本人がダウンジャケットを着込んで「寒い寒い」と言っている最中、北欧から日本に訪れた観光客は「ぜ~んぜん寒くないっす!」と言いながら、半袖短パン姿で外をウロウロしている光景などが良い例です。

味覚も然り。

数年前に煮物を作っていた私は、「塩」を「砂糖」だと思い込むという大失態をおかしました。

いつもの分量の砂糖を入れても、いつもの味にならない煮物に対し
「おや。今日買ってきたこの砂糖(塩)は、ずいぶんと甘味が控えめだねえ」
などと思いながら、砂糖(塩)をどんどん追加したというトンデモ事件。

「砂糖」だと思い込んでいた私には、塩辛さは感じません。
「上品な甘味がする砂糖」にしか思いませんでした。

空耳聴覚だって、幽霊の如くに近づくプリウスには気づけないことも多いですし、嗅覚は臭いで人の脳を騙せます。

そのくらい曖昧なものを通して自己を確立し、自分の現実世界を自分なりに認識しているのが人間です。

そして、この曖昧な現実に「時間」という概念をプラスしたものの上で、「自分は不幸なんだ」とピンポイントに決めつけてしまうのが、なんとも物悲しい人生の錯覚なのではないかと思っています。

今の自分に不都合なことが生じると、人は、その事柄を「不幸」な事だと認識します。

でも、現実と呼ぶもの自体が曖昧なものなのだとしたら。
「今」というピンポイントな時間の見方を、もっと長期的な見方に変えていったとしたら。

いま不幸だと思える現実が、未来の自分にとっては幸福な事になる気がしています。
そんな話を良く聞きますしね。

なので、

「昨日のロトのハズレ券は、未来の自分が手にする数億円という金額に、チョットと貯金を足してきた明細書!どんどん増えるぜキャリーオーバー!」
と、ポジティブ思考に切り替えて、今日もイメトレに励みます。

もちろん、自分の口座残高が9桁になるイメトレです。

イロハ



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