2015年7月6日月曜日

星の数だけ願いがあれば

 


梅雨真っ盛りの日本ですが、明日は七夕。
あちらこちらで、色とりどりの笹飾りが、鬱陶しい梅雨空を賑わしていることでしょう。

「ひらがながぜんぶかけますように」とか、
「大金持ちになりたいです」とか、
「なんちゃらライダーと結婚したい」とか。

ああ、なんて微笑ましい。

でも、筆者が「平井堅似のイケメンCome on!」と短冊に書いたのなら

アホじゃね?と、笑いを誘うのがオチ。

なんて世知辛い大人の世界……。

どこが違うんだよ。
なんちゃらライダーも平井堅も
一緒じゃないか!!

はい、どうも。イロハです。

大人になると、自分の願いを素直に表現出来なくなります。
日々の生活や将来への蓄え、世間体と体裁。
それらに対処出来るように、自分を対応させるような願いしか口にしなくなります。

感じる不安を覆い隠すような願い方しか出来なくなってしまう。

「結婚できますように」
「給料の良い仕事につけますように」
「宝くじが当たりしますように」

それが本当に「自分の願い」なら良いのですが、大抵の場合「本当に願いたい事」は、その後ろに隠しながら願ってしまうのが大人という生き物です。

結婚なんて出来ますよ。
選ばなければ、何度だって出来ます。
仕事だって同じです。
宝くじだって当たります。
連番で10枚買えば、1枚は確実に当たります。

でも、違う。
これらの願いには、必ず「自分が満足できるような」という文言が隠れてる。
この「自分が満足」という部分が、本来願いたい願いのはず。

だからと言って、そこを書き出すと「この身の程知らずめが!」とか「アホ?」とか「そんな事あるはずない」という言葉が降ってくる。
周りから散々に言われ、過去の自分の経験から未来を推測し、そして言葉を飲み込む大人たち。

仕方がないと言ってしまえばそれまでですが、七夕の日くらいは、自分に素直になってみませんか?

「温故知新」
故きを温ねて新しきを知る。
温故も大切ですが、知新の方がもっと大切。

過去の経験に縛られて、「今」をおざなりに生きてしまうなんて愚の骨頂。
過去の経験を道しるべにして、まだ見ぬ世界を知ろうとするからこそ、人は成長していきます。

それでも、現実味のない願いをするのは「恥ずかしいし馬鹿っぽい」と思うなら、ひっそりと紙に書きだしたっていいじゃない。



身の程を知らないから生きてるんだ。
知りたいと思ってるから願うんだ。
さあさあさあ、平井堅似のイケメンcome on!

大丈夫。
一人じゃない。
世界に向けて書き出している、筆者が今日もここに居るから。

イロハ


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