イロハのカルタ「へ」が思いつかなくても
スマホ表示が上手くいかなくても
見出しがスマホに表示されなくても
カスタマイズ記事が理解出来なくても
HTMLをチョットいじっただけでCSSが適応されなくなってしまっても
全てがベストなタイミングで起きているから大丈夫
と、自分を励まし続けたイロハです。
こんばんわ。
ブログ内の改修工事に現をぬかし、記事のことを考える余裕すら持てなかったという本末転倒っぷりを発揮してしまった今週末。
自分で決めた締切時間を過ぎてから、この記事を書いています。
さて。
ピポシリーズで書いたことのある「時間」について。
あの読み物で書いた「時間」という概念は、視点を「自分」において書いてあります。
そして、「宇宙」に視点を置いて書いたものが七色です。
どちらの読み物も、時間を過去から未来へとは流していません。
そもそも、時間は流れていないという自己理論を元にして書きました。
時と時の間に「自」が居て、自らの周りにある「時」というものを、ただ眺めているのが人という存在。そして「時」は無数にあり、人は自らが見る「時」を選択しているだけ。
その選択基準は、人それぞれだと思います。
ミリオネアを通り越したビリオネアになったという「時」
グラマラスでセクシーな彼女が出来たという「時」
イケメンビジネスパートナーが隣にいるという「時」
こういう「時」が見たいという意思を持ったから、そういう「時」を見ているだけで、その出発点は常に「自」にあるというのが筆者の考えです。
そして、その「時」を見るタイミングを図っているタイムキーパーが、神とか宇宙とか、「自」を「分」けたもの。
目に見えない「何だか訳の分からないもの」なのかもしれません。
全ての「時」が「自」の周りにあるんですから、いつどれを選んだって良いはずですが、そこはアレでしょうね。
全部最後まで見なきゃダメと、思っている「自」が何処かにいるんでしょう。
イケメンビジネスパートナーが隣にいるという「時」を見れていない今。
筆者に出来ることといえば
いま見ているこの「時」は、もう飽きた。次!
と、「分」かれたものに対して叫ぶことくらい。
そして、タイムキーパーである「分」かれたものは「大人しく待ってなさいよ」と、言っているに違いありません。
色々とザックリ計算しているんでしょうね。
そしてきっと、そのザックリ計算が合わなくて「あれ、オカシイ」なんて言いながら、のんびり計算をし直している最中なのかもしれません。
なんせ「自分」ですから。
なんとなく、そうなっている気がします……。
果報は寝て待ちます。
こうして、つらつらとブログを書き続けている筆者の目にイケメンビジネスパートナーが飛び込んできて、「来たよ!イケメンビジネスパートナー」というタイトルの記事が書ける日が近いことを願って。
イロハ
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