結果
贈り物、受け取りました。
それはズバリ昨日の記事。(過去記事はコチラ参照)
考察
本によれば、貰える贈り物には個人差があり、それは物だったり精神的なものだったりするようなので多分コレ。
『本ばかり読んでいないで、いい加減気づけよ』的な、FPからのメッセージ。
コレが、私へのプレゼントだったんだと思います。
それについて、少し考えてみました。
電車を乗り過ごしたあの日の朝、私は居眠りなどしてはいませんでした。
頭の中の万札ピラミッドと戯れた後、ATMの画面に表示されている自分の口座残高の数字を懸命に数え続けていました。
なのに、降りなければいけない駅を完全スルー。
駅に到着する少し前には必ず車内アナウンスがあるものですが、それは全く聞こえませんでした。
ここで一つ。
素朴な疑問を自分へと投下します。
これって、何かに集中している時は、周りの雑音に気づかないのと同じじゃないの?
世のお父さんたちが毎晩経験しているであろう 『ちょっと!私の話、ちゃんと聞いてる?!』 ってやつと、全く同じじゃないの?
その疑問について、自分が導き出した答えは一つ。
『一緒でしょ』
即答です。
そして、この実験におけるその件に関し、筆者は以下のように推測し、またそこに思考実験を重ねてみました。
+α推測実験と確証
この時の、筆者目線は求む)諭吉。
そしてこの図を、求む)自由の目線から見てみます。
どうですか?
自由を引き寄せたいと思ったから、筆者が簡単に、しかも真剣に集中出来る万札の束を必死に想像し続けてた結果、狙い通りに周りの音が消え、そして自由が手に入った。
の、図に見えてきませんか?
ね?
こうして、改めて文字にすると恥ずかしい。
スタバでの臨戦態勢がこっぱずかしい……。
さてここに、FPの存在を確信できることが含まれていると筆者は気が付きました。
「自分の本当の願いはいつでも叶い続けているのに、それにも気づかないアホめ。だったら気付かせてやろうじゃないの」
↑
コレ。
狙い通りに周りの音を消したのもFPの仕業なんでしょう。
そして、浮かれポンチな私が気付けたということ自体が、自らの存在を示そうと頑張った、FPから私への『ウキウキキャーっとなるプレゼント』なんだと思います。
気付けたというより、気付かされたんでしょうね。
だいたい筆者は、こんなに
凄いよFP。
さ、明日からは次の実験にうつります。おやすみなさい
イロハ
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ぽちっ
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