※本記事は、ややオカルトorスピリチュアル寄りになっています。
そういった関係が苦手な方、ごめんなさい。
さて。
日常に瞑想を取り入れてから、約一年が経過した物書き屋です。
こんばんは。
座禅も組まず、椅子にも座らず、ただ就寝前の時間を瞑想に充てていましたが、日常的にはコレといった変化も起こらずに一年という時が過ぎました。
「心の平穏」を保ち続ける為、頭の中に勝手に流れ続けている、過去やら未来やらへの不満や不安を一掃することが目的で続けていたんです。
しかし。
先週あたりから、「瞑想中」に起こる何かが変わってきたように思います。
神様の声とかでは無いんですよ。
そんな高尚なものは聞えませんて。
私が感じるようになったものは、ただひたすらに「幸福感」というやつです。
真冬のすっごーーーく寒い日に、暖かい湯船に浸かると「あ~、幸せだぁぁああ」って感じる瞬間があるじゃないですか?
まさに、あの感覚です。
心の中をスッキリ爽快クールクールな状態にして終わらせていた瞑想に、ある日突如として訪れた幸福感。
きっと、そういった脳内ホルモンが出てくるようになったんだとは思いますが、実はコノ幸福感。
私は以前、夢の中で味わったことがあるんです。
だいぶ前になりますが、不思議な夢を見ました。
そして、絵ばっかり描いていようとも誰が何と言おうとも、私はやっぱり「物書き屋」。
なので、ここからはショートショート風に↓
背の高い木々が重なり合い、深い緑の色に染まっている森の中。
そこには、穏やかで静かな時が流れていた。
木々は大きく枝を伸ばし、その隙間からは優しい陽の光が落ちてくる。
水の滴を携えていた若い葉は、彼らの足元にひっそりたたずむ、古いレンガ造りの家へと滴を落とした。
その家には、5人の人間が集まっている。
サラリーマン風の男性。
ツインテールの若い娘。
ツンデレ風のイケメン。
派手な髪形をした綺麗な女性。
そして、アラフォーなのにアラサーだと言い張り続ける物書き屋。
物書き屋は、身体が持つ本来の感覚を失わせる為に、自分の体に詰めてある「何か」を取って欲しいと、派手髪女性に頼んでいた。
「これ、全部取ってくれない?
うっとうしいから嫌なんだけど」
「ん~……
取るのは、あまりおススメはしないけど。
でも、どうしてもっていうのなら片耳だけね」
そんな簡単なやりとりを終えた後。
派手髪女性は、白い煙のような詰め物を物書き屋の片耳から取り去った。
その時。
言葉では言い表せない程の幸福感が、物書き屋の体を包んでいく。
「これ、知ってる!
この感覚、味わったことあるよ。
冬のお風呂だ!!」
と、まあ。
こんな感じの夢でした。
夢の中で味わったアノ感覚が、瞑想中にイキナリ襲ってきた驚きったらもう……。
ビックリ仰天以上の代物です。
そして、この件以来。
「幸せ」というものに関しての認識が、私の中で少しずつ変わってきています。
周りで起きている出来事や自分が置かれている状況と、「幸福感」とは全く関係がない別のモノという感覚。
そして、「幸せになりたい」と思うこと自体が、壮大な勘違いなのではないかと思う気持ち。
人という存在は、皆ずっと、幸せのド真ん中に居るような気がし始めました。
ですが、これはあくまでも、物書き屋個人の考え方としてサラッと流していただけると嬉しいです。
様々な思想、色々な見方があって当然。
それこそが、生きている間に味わえる醍醐味ってやつなのかもしれません。
今日は、とても長い記事になってしまいましたが、最後まで読んでくださり有難うございます。
物書き屋が、久しぶりに書いた物語のようなモノ。
かなりおチャラけた文章ですが、それを読んでいただけただけでも幸いです。
イロハ
0 件のコメント:
コメントを投稿